コンパリとは
コンパリ(比較)ついて書きます。
結論からいうと
コンパリは必要だがin terms of〜 we are
outweighsみたいなスピーチは不要 です。
コンパリはスピーチをしていく中、議論を試合で両者で進める間でどちらのサイドのほうが優位なのか、なぜ自分たちが勝っていてなぜ自分たちのサイドにvoteして!といえるのかジャッジにプレゼンする必要があるため優位性を示すため、相手と自分のサイドの優位性を比較することは必ず必要です。
(当たり前)
→これがないと負けます、ふつうになんで勝ってるのかわからんのに勝てません。
しかし、コンパリをスピーカー側が自分でわざわざ表さなくてもよいです。
理由はジャッジが勝手にコンパリするからです。
たとえば、あるミクロの議論でどちらもせっていて、優位性がわからないとき、どちらとも言い分がわかり、だからどっちのほうの言い分をとるのかわからないときは比較してどちらの方が優れてるのかいえる、そして説得力ありけり
これならそっちのほうが勝ちます。
ただわざわざ明示化は不要です。
だってどこが優位なのか、どこの部分の話が
よりわかる、より納得したのか、その通りだと思いました。って判断はジャッジにゆだねられるからです。
つまり、ジャッジがディベーターたちのスピーチを総合的に判断して比較するので明示化したいわゆるコンパリの技術論的なスピーチは不要なのです。
逆にいうと、わざわざ
i show comparison
in terms of impact ad> daとか言われても
それをしたから勝てる!
ってわけじゃないのです。
ジャッジは客観的に立論された情報から判断し優位なのはどっちかは判断するので、
比較はジャッジが行うものでしょう。
まとめ
従ってディベーター側は「タイブレーカー」(なぜ自分たちのほうが優れているのかの説明)
をしなければいけないのは間違いないが、
コンパリと俗に言われていることをしなくてもよいということです。